私の相続事件簿第2弾(全10回) 第2回 知らない子が戸籍に(1)
シリーズ第1弾で、「子のいない夫婦の相続のゆくへ」を2回にわたり書きました。そこでの最大の教訓は、夫婦互いに遺言書を書いておくことです。今回も私が経験した、珍しい、依頼者にとってみればまことにやっかいな問題が潜んでいたケースを紹介します。
※名前、時期、場所等は全て実際のものとは異なります
自宅の相続登記ができない
相談者は明治40年代生まれの女性(Sさん)とその娘でした。特定郵便局長だった夫(太郎)が死亡して何年も経つが、太郎さん名義の預貯金や自宅不動産の相続ができないとのことでした。太郎さんは病死でしたが、気にかかりながらも遺言書を書くことを言い出せずじまいだったようです。
夫に先妻との間の子がいた
太郎さんにはSさんとの間に子が3人いました。この3人は仲がよい間柄でした。
太郎さんは東北出身でしたが、大正時代に北海道に開拓農民として移り、そこで結婚して子ができていました。このことをSさんは、戸籍の調査によって初めて知りました。しかも、戸籍の記載には生まれ日が1ヶ月違いで「花子」と「ハナ」の2人の子がいることになっています。「花子」は札幌市内に実在しましたが、「ハナ」の存在は不明です。どうも同じ子が2回にわたって出生届けが出されたようです。
「花子」さん問題の突破口「親族間紛争調停」
実在する花子さんは70歳代です。花子さんに事情を書いた手紙を送り、電話でお話をしました。すんなりと協力が得られることを願いましたが、期待ははずれました。花子の心には、父の太郎さんが母と自分を捨てたという思いがすり込まれ、太郎さんが再婚したSさんに根深い反発心をお持ちでした。
私は家庭裁判所を活用するしかないと考え、家裁に、花子さんを相手方として「親族間紛争調停」を申し立てました。遺産をめぐる紛争については「遺産分割調停」が正道なのですが、この場合は相続人全員が当事者とならなければなりません。この段階では、まず「花子」さんに絞った問題解決をすべきだと判断し、この類型の調停を選択しました。この調停では、家裁が人間関係調整のために調査官を配置してくれることも有効です。
家裁の調整で花子さんから「相続分譲渡」
私は家裁に数回通いました。花子さんは第1回調停に出頭されましたが、家裁に呼び出されたこと自体に憤慨をされていました。もう2度と来ないと言う花子さんに調査官から粘り強く話をしていただき、一定の代償金の支払いと引き替えに、太郎さんの遺産に対する相続分全部をSさんに譲渡してもらうことができました。これで一つのハードルを越えました。
しかし、今度は、実在しない、戸籍の「ハナ」に苦労をさせられることになりました。