法律マメ知識

私の相続事件簿(全10回) 第1回「家族関係の縮図」

弁護士 中野 直樹

骨肉の「情」

 「相続問題」は、兄弟姉妹間に発生することが多い。兄弟姉妹は生まれたときから巣立つまで、一つ屋根の下で、同じ食卓を囲んで育ちます。親に次いでかけがえのない血族のはずです。ところが、家族の秩序の頂点にあった親が亡くなると、平穏だった兄弟姉妹間に突如、独占欲、不公平感、不信、ねたみなどむき出しの欲望と感情が噴出することが少なくない。法律家は、ここに「権利」と「公平」を物差しに解決に向き合うことになります。

家族史の集約的表出

 昭和10年代生まれの女性が私の依頼者でした。70才代から50才代までの6人兄弟姉妹の中位でした。両親は、戦前は貧しい小作人、戦後の農地解放で相当な田畑の払い下げを受けました。作物を生む田畑はやがて金に変わる宅地となりました。父の死亡時には母が全部相続をして波風は立ちませんでしたが、母が死亡したときに、6人が4グループに分かれた熾烈な相続争いになりました。
 調停の席で、私の依頼者を含め年長者は、子どものとき農作業をどのくらい手伝ったか、誰の子守をしたか、長男・長女は中卒で働きに出て給料を家に入れていた、これに対し弟妹は高校まで出してもらえたなど、もう40~50年前の過去の家族史を持ち出して、法の定める均分相続は受け容れられないと言い張って譲りません。末妹からは母が衰えた後の介護の苦労が持ち出されます。毎回の調停室内は怒鳴り合いとなりました。

若かった私の挫折

 私は、仲良かったはずの兄弟姉妹が人生の後半で骨肉の争いを繰り広げる不幸をなんとか修復の方向に変えたいと、それこそ毎回の調停前に必死で依頼者を説得します。前の晩に自宅に出向いての打ち合わせでようやく納得してもらえたと安堵して翌日調停に臨むと、依頼者は弟妹の顔を見た途端に「原点」に戻ってしまいます。2年を超える調停合戦の末に、不成立という結果でした。私の善意が空振りし、解任となりました。
 おそらく依頼者は家族史のなかで自分の果たしてきた役割に感謝してほしいという願望があったのでしょう。しかしそれを遺産分けによる「恩賞」という形にしようとすると、「均分」という法の建前に衝突します。依頼者にとって、このような法は不正義であり、姉だからここは折れてという私の説得のベクトルは、自分のことをわかってくれないとの孤立感を醸成し、いっそう意固地に追い込んだのかもしれません。相続問題の難しさを思い知らされた事件でした。

2013/09/19
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