所員雑感 Vol.32 娘と一緒にスペインの旅 第7話(ラ・マンチャ編)
ラ・マンチャ
コルドバを発した高速鉄道は、ラ・マンチャの平原を北上し、マドリードまで410㎞を約2時間で走る。「ラ・マンチャ」はアラビア語で乾いた土地という意味だそうだ。車窓にオリーブやブドウ畑、牧羊の風景が延々と続く。乾いた大地は、厳しさと枯れと単調を構図につくられていた。
この地方名を私たちの記憶に刻み込んでいるのは、セルバンテス作のドン・キホーテであり、それをミュージカルとした「ラ・マンチャの男」である。
ドン・キホーテとその時代
私は、児童文学書で読んだきりであり、風車とたたかうドン・キホーテの印象しかなかったが、せっかくのスペインの旅にあたり、岩波文庫のセルバンテス作・牛島信明訳「ドン・キホーテ」を仕入れた。1547年生まれのセルバンテスが、勇敢な兵士と捕虜(奴隷労働)、就職と失業の多難な人生を生き延びて、1602年、58歳のときに「ドン・キホーテ」の執筆に専念し、1605年に出版されると大評判となった。小説の正式名称は「機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」。全6冊のうち前編3冊を読み終えた。
時代は、わが国では戦国時代から安土桃山を経て徳川時代が形成されるときである。戦は、槍や刀を使った農民武士(郷士)個人のたたかいから、集団戦法、銃の使用へと質的な転換をした。スペイン王朝は、1492年、グラナダのイスラム王朝を滅ぼし、コロンブスの新大陸発見以降の新たな征服による金、銀、奴隷の強奪により16世紀黄金時代を迎えた。他方で、キリスト教社会ではプロテスタントの嵐が起こり、これに対抗するカトリックにイエズス会がつくられ、征服と布教を一体とした帝国主義的侵出が行われ、わが国には1549年にフランシスコ・ザビエルがやってきた。イベリア半島の統一が終わったスペインは、国内の戦がなくなり、中世の時代の軸となっていた土地貴族が没落し、騎士道は過去の栄光となった。
この時代の変遷に辛酸をなめさせられる人生を送ったセルバンテスが、騎士道物語を読みすぎて妄想に取り付かれたドン・キホーテが愛馬の痩せ馬ロシナンテにまたがり、農夫サンチョ・パンサを従士として、遍歴の騎士の旅にでて遭遇する「冒険」を風刺的に描いたものである。
スペインの屈折
15世紀、スペインは神聖ローマ帝国の核として君臨し、1580年にポルトガルを併合した。しかし、1588年はスペイン無敵艦隊がイギリス艦隊に破れ、スペイン黄金時代の終焉の始まりだと言われている。1640年にポルトガルが独立し、スペインは常に市民革命後のイギリス・フランスにおびえる日々となったが、19世紀に入ると、ピレネー山脈を越えて侵略をしてきたナポレオンの支配下となった。ナポレオン失脚後も内紛と没落が続いた。1936年にファシズムに対抗する人民戦線が立ち上がったが、1939年に軍事クーデータを起こしたフランコ将軍の独裁政権となった。このフランコ政権はヒットラーと一線を画し第2次世界大戦に参戦せず、戦後も存続して、スペインが選挙による民主化に踏み出したのは実に1975年になってからであった。