所員雑感 Vol.29 娘と一緒にスペインの旅 第4話(流浪の民とフラメンコ編)
イースター
アルハンブラ宮殿から展望される美しいグラナダの街並みにも感動しながら、バスでホテル:カルメンに移動し、部屋を割り当てられた。マラガ空港からハンドルを握っている運転士はこの地の方で我がまちに誇りをもっていた。ホテル近くのデパートにいき、妻への気の利いた土産がないかと物色し、薄紫色のスカーフに決めた。食品売り場にいき、オリーブ油と石鹸を買った。
私たちの旅は、復活祭の時期と重なっていた。バルセロナで細長い黄色の葉が売られていたので尋ねたところ、椰子の葉を閉じて成長させたもので、日本で言う榊のようなものらしい。どこの都市でも夕方になると、大通りが車通行止めとなり、各教会前から、黒装束等に身を包んだ人々が行き交い始め、わが国の山車や神輿に当たるものが動き出した。
ジプシー
移動型民族名で、今では差別用語と批判されることもある。欧州では「ロマ」民族が主流だそうだ。グラナダでは、十字軍とイスラム民族との最後のたたかいのときに、自由に移動するロマがイスラム社会の情報をスペイン王朝側にもたらし、イザベラ女王がこの功績に報いる形で、ロマにサクロモンテの丘を与え、ロマはここに岩穴を掘って住居をつくり、定住したという。
フラメンコ
夜、マイクロバスでこのサクロモンテの丘に向かい、傾斜地に複雑に掘ってつくられた店に入った。中は細長く奥深く、天井の低い造りだった。少しせかされながらアンダルシア料理のコースを食した後、フラメンコショーとなった。フラメンコは、スペインジプシーと北アフリカのイスラム教徒が培ってきた、歌と踊りとギター伴奏が合わさった芸能だとのこと。私たちは壁際に並べた椅子に座り、すぐ眼の前で、歌(カンテ)・手拍子(パルマ)とギター(トケ)伴奏が始まった。ギターは弾くというよりも、指先でギターを叩いてリズムをとることが多い。2人の女性の踊り手(バイラオーラ)がそれぞれ5分くらいずつ踊った後、男性の踊り手(バイラオール)が約10分演じた。これが1組で、年齢の幅のある踊り手を変えてもう1ショーあった。歌手、ギターリスト、踊り手は独立専門だそうだ。男性の哀愁ある渋みの歌声、リズムをとる手拍子、ギターのつま弾きと叩き音、踊り手がつま先とかかとで床を踏み鳴らす音が石室内に充満し、陶酔の境を作り出す。踊り手の激しい動きに息を詰めながら、手の動き、顔の表情に観入った。女性踊りは華やかでよいが、1組めの年輩の男性の踊りが圧巻であった。
外へ出ると、次のショー待ちの人々が通路に溢れていた。夜12時頃まで踊り続けるそうだ。遠くには、アルハンブラ宮殿がライトアップに浮かび上がっていた。