所員雑感 Vol.26 娘と一緒にスペインの旅 第1話(バルセロナ編)
多摩の弁護士仲間と
2015年3月28日、フランクフルトで乗り換えたルフトハンザ機は、フランス上空からバルセロナ空港への下降を始めた。つい1週間前、この空港から飛び立ったドイツ行きの飛行機が副操縦士の自殺行為によりフランス国境の山岳に墜落した衝撃的な事件があったので、なんとなく不安にとらわれたが10数時間のフライトだった。
空港到着後、東京・多摩地域で活動する弁護士とその親族一行25名はバスでホテルに向かった。このグループの海外旅行は8回目だそうで、私は2回目の参加だ。大学生となった二女を誘った。
港町ブルース風味でない港湾都市
バルセロナは2000年の歴史をもつそうだ。ピカソやダリ、ミロが活躍した街、ガウディの世界遺産建築物の街、1992年オリンピックの街、そして、メッシ・ネイマールを擁して今年の欧州CLを征したFCバルセロナに熱狂する街である。スペイン最大の商業都市として富が集積されてきたのであろう。
翌日午前のフリータイムは、娘と地下鉄にのって港に出た。日本の港町やイタリア・ナポリの港にただよう哀愁の空気が感じられない。港には、コロンブス像がアメリカ大陸を指している塔が立っていた。イタリア人のコロンブスは、スペイン王朝の支援でインド新航路を探しに出て新大陸を発見し、その後の大航海時代のスペインの栄華をもたらした英雄としてあがめられているとのこと。
遊覧船に乗って港内を1周した。港には豪華客船が何艘も停泊し、地中海クルーズの雰囲気をぷんぷん発散していた。
不思議なガウディの空間
昼は、ラザニアとイカスミリゾットを楽しんだ。生ビールを注文したところ大きな丼サイズのグラスで登場し、娘がこれを飲み干すのかと目を丸くしていた。
午後は団体行動で、1852年から1926年に生きた建築家ガウディの作品を巡った。彼が60戸の住宅開発を手がけて失敗したところがグエル公園となって保存されており、一見風変わりな曲線を描くタイルベンチに腰掛けたり、色鮮やかなトカゲの噴水で写真をとったりした。タイルベンチのある広場の下は柱が林立する空間となっており、その天井にタイルで太陽が描かれている。岡本太郎氏の大阪万博会場の太陽の塔はここから影響を受けたものだと言われている。
ガウディの建築物の独創性は、奇抜な曲線の柔らかさと、躯体を支える柱の構造計算の巧みさにあるという。もっとも有名なサグラダ・ファミリア(聖家族教会)は、1884年に着工され、途中からガウディが引き継ぎ、今も建築が続いている。ガウディは、家族をもたず、晩年はこの建築現場の飯場で暮らし、名声とは無縁の生涯を終えたそうだ。この建物内には躯体を支える太い柱が林立し、その分支えから解放された壁部分には、下から上まで一面のステンドグラスがはめこまれ、普通の教会の造りとはまったく異なる。ガイドは、未完成なのでまだ教会ではなく、したがってバチカンに上納金を納めることもなく、巨額の入場料収入を上手に活用しているのだとの裏話をしていた。